27歳では死ねなかった

『27歳では死ねなかった』という物語を投稿します。

新宿25:00。逃した終電と眠らない街。


「お疲れちゃん」
深沢が、僕のデスクに缶コーヒーを置く。
「サンキュー」
キーボードを打つ手を止め、プルトップを開ける。
「まだ終わんねえの?」
「あー、もうちょっとやっていこうかな」
時計を見ると21:00を回っていた。煙草の吸い過ぎで掠れた喉にコーヒーが沁みた。
「飲みに行こうよ」
「新宿?」
「もち」
「いいよ。じゃあ行くか」
Excelがしっかり保存されていることを確認して、端末を落とした。
「おい、もうちょっとやっていくんじゃないのか」
上司の高見が横から口を挟む。
「高見さん、今そういうのいいんで」
「酒の方が大事っす」
「お前らな、そんな毎日酒飲んでると痛風になるぞ」
思わず深沢と顔を見合わせる。
「僕らもう痛風になってますけど」
「は?もう?二人とも?」
じゃ、そういうことなんでと呆れ顔の高見を置いてセキュリティカードをかざす。ピーと高い音がして、僕と深沢は会社を出た。

会社のある品川から、共通の乗り換え駅の新宿で降りる。金曜21:50の新宿駅は信じられないほどの人でごった返していた。人の奔流と持ち前の複雑な構造で進みにくい新宿駅を、深沢は一瞬も迷うことなくスルスルと進んでいく。いつまで経っても新宿駅に慣れない僕は、ただ黙って前を歩く深沢に着いていく。
新宿駅から西武新宿駅方面に真っ直ぐ進み、西武新宿駅を超えて更に進んだところに、僕と深沢が毎回行くタントという居酒屋がある。食事やツマミはやや高いが、ビールとハイボールが100円と破格で、常に深刻な財政難を抱えている僕らにはありがたかった。
駅からやや遠いためか、タントはいつでもそれなりに席が空いている。金曜日の夜でもやっぱり空席は目立って、店員の外国人に2名という告げると、二階に通された。
「生2つと、キャベツと納豆オムレツ
深沢が席に着くか着かないかのタイミングで言う。毎回最初は生2つと、キャベツと納豆オムレツ。2杯目からは、僕は生ビールのままで、深沢はハイボールになる。
「お待たせしました」
生ビール2杯と、お通しのきんぴらごぼうと、注文したキャベツがテーブルに置かれる。
「どうも」
納豆オムレツもう少々お待ちくださいね」
店員が去っていく。
「じゃ、お疲れ」
鈍い音で乾杯をして、一息に半分程飲む。
仕事が終わって、自由な時間。既に22:30だが、ここからが1日の始まりだ、という感覚があった。自由な時間以外は全て嘘で、今こうしている時間だけがリアルだった。

僕と深沢は、タントではすっかり常連で、際限なく飲み続けるこのテーブルのグラスを下げる事を店員は早くも放棄していた。テーブルには合計20個の空のジョッキが乱雑に並べられている。
「茜ちゃん呼ぼうぜ」
深沢が11杯目のハイボールを飲み干して言う。
「誰だっけそれ」
覚えていなかった。
「ほら、前に呼んだじゃん。俺の大学の友達。エロい子」
「ああ、お前が中退した大学の」
「中退の話は良いんだよ。茜ちゃんお前の事気に入ってさ、会いたがってたから呼ぼう」
「いいよ、面倒臭い」
「あのな、良い女っていうのは、ブランドで身を固めた女とか床上手な女じゃなくて、夜急に呼び出しても文句言わずに来て、一緒に酒を飲んでくれる女なんだよ」
「だから、呼ばなくて良いって」
深沢は僕の制止を聞きもせずに電話をかけ始める。深沢はモテる。高身長で顔も良く、スポーツ万能。頭も良い。前世でどんな徳を積んだらこういう人間になるんだろうと羨む気も無くなるような奴で、いつでも電話一本で飲みに来る女の子が沢山いた。だから、深沢と頻繁に酒を飲む僕は、必然的に女の子の知り合いが増えた。
「出ねえじゃねえか!」
深沢が大袈裟にため息をつき、電話を切る。
「残念だね」
「少しも残念そうじゃないトーンで言うな」
「そういや俺、決まったわ退職日。11月末」
「来月じゃん」
頷き、新たにビールとハイボールを注文する。すぐに運ばれてくる。
「音楽頑張るんだっけ」
「そうだよ。アラサーで何言ってんだって感じだけど」
「良いんじゃん?」
深沢が運ばれてきたばかりのハイボールをチビチビと飲みながら言う。
「世間的によ?あくまで世間的に言えばさ、そりゃあ馬鹿な選択じゃん。お前は仕事も出来るし、上司とも先輩後輩とも仲良くやって、良いポジション築いて。それ捨てて、この歳で会社辞めて音楽やるなんて、なに夢見てんだって話じゃん」
「返す言葉もないね」
煙草に火をつけてから、灰皿がいっぱいな事に気がつく。
「でも普通に生きてたら人生長いし、その間ずっとやりたい事我慢して仕事仕事じゃ、参っちゃうもんな。だから無責任かもしれないけど、やれよ。具体的には何もしないけど応援はするよ」
「ありがたいね」
「そろそろ俺をコーラスで雇ってよ」
「断る」
「なんでだよ!俺コーラス上手いだろ!」
「上手いけどいらねえ」
「そういや俺も年内で辞めるわ」
深沢のあまりに唐突な申告に思わずむせた。喉の奥に煙が引っかかる。
「なんで?夢でも追うの?」
「いや、働きたくねえ」
「困った子猫ちゃんだ」
「それキモいからやめた方が良いよ」
「俺もそう思う」
頷き、新鮮味がすっかり失われたキャベツを口に放り込む。底の方に溜まった塩ダレで喉が渇いた。
「ほんと言うとさ」
深沢が箸を突きつける。
「箸を向けるな」
「俺営業やりたいんだよね」
「良いんじゃん。明らかに向いてるよ」
「やりたい事あるならやるべきだよなー」
僕らは頻繁に、人生は長いという話と、人生は短いという話をする。やりたくない事をずっとやり続けるには長すぎて、やりたい事を全てやるには短すぎる。きっといつの時代でも誰かしらが同じ事を言っているであろう事が、この頃の僕らの話題の中心だった。時間と生活を天秤にかけて、できる範囲のやりたい事を消化していくしかないのだろう。
「最終的にどうなりたいかって言ったら、やっぱ幸せになりたいじゃん」
「うん」
「でも幸せの定義って人それぞれ違って、だから幸せになる為の道に正解が無いって酷だよね」
「まあ俺は今でも結構」
幸せだけどね、と言おうとして、やめた。口に出してしまったら、きっと無気力になってしまう。
「幸せになりたいって思ったらさ、多分永遠に幸せになれないんだよね」
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ」
「でもさ」
深沢がハイボールのジョッキを持ち上げ、こちら側に少し傾ける。本当にしょっちゅう乾杯をしたがる奴だ。
「なに?」
「こうやってしょっちゅう、仲の良い同僚と馬鹿みたいに酒飲んで騒いだり真面目な話をしたりさ、そういうのって、結構良いじゃん?」
「そうだね」
結構良い。それがきっと今は大事な事なんだろう。ビールのジョッキをハイボールのジョッキにぶつける。
「何度目の乾杯だよ」
「何にの乾杯だ?もうわかんないけど、きっと乾杯する理由なんて沢山あるよ」
「じゃあ、俺たちの未来にかな」
「くせえ」
納豆オムレツのせいだよ」
「お前はすぐ過去を掘り返す」
「掘り返せるだけ良いでしょ」
「それもそうだ」
ガツン、とジョッキが音を立ててる。頭の中で、音楽がぐるぐると流れていた。


キィンッという小気味良い音を立てて、白球が飛んでいく。バットを持ったままの深沢が「これ行ったっしょ!」と叫ぶ。伸びた白球は、ホームランの的をスレスレで避けてネットにぶつかる。「なんでだよ!」と深沢がまた叫ぶ。
新宿で酒を飲んだ後、カラオケかバッティングセンターに行くのが僕らの恒例だった。
16年間野球をやっていただけあって、深沢のバッティングホームは美しかった。飲み会帰りにそのまま来たようなサラリーマンの集団や、大学生くらいのカップルが主な客層だった。それぞれ皆んなが懸命にバットを振るい、怒声を吐いたり、ゲラゲラ笑ったりしている。
「打つ?なんでお前ビール飲んでんだよ」
深沢がボックスから出てくる。僕が手にした缶ビールに素早く気づき、ツッコミを入れる。
「なんかさ、こうやって酒飲みながら他人が一生懸命バットを振ってるのを見ると、泣きそうになるんだよね」
「バッティングセンター来て酒飲んでるのも、泣きそうになってるのも理解出来ねえ」
「理解できる事の方が世の中少ない」
「そういう話はしてないだろ」
深沢が吹き出す。始まったよ、先生の哲学が、と笑う。深沢は酔うと、よく僕の事を先生と呼んだ。
笑い声と打撃時の快音と気怠げな店内放送。決して静寂が訪れない25:00の新宿のバッティングセンターは居心地が良かった。
「もう終電ねえな」
「人生においてさ」
「人生において、ときたか」
深沢が身体を折り曲げて笑う。笑上戸な奴だった。
「人生においてさ、必要なのは」
「必要なのは?」
「終電を逃す覚悟だよ」
「なんとなく言いたい事はわかるぞ」
「嘘だね、絶対にお前はわかってない」
「ばれたかー」
深沢が額をピシャリと叩く。
「終電を逃してもさ、時間をかければ歩いて帰れる。金をかければタクシーで帰れる。カプセルホテルや満喫にも泊まれる。人生的にも、終電を逃すのは余裕だよ」
「いい事言ってるけど、それ終電に例える意味ある?」
「ない」
「そういうとこだよなー、先生」
背中を強めに叩かれる。
「でも俺は、そんな先生が結構好きだよ」
「それは良かったよ」
「ところで、もう俺たちには終電が無いわけだけど」
カラ館行くか、カラ館
何人かのキャッチをかわしながら歩く。あちこちに人が転がっていて、吐瀉物の溜まりがある。どこまでも汚くて、明るい街だった。新宿は眠らない。僕はこれから、眠らない街で夢をみる。
「多分だけどさ」
深沢がポツリと言う。
「なんとかなるんじゃないかな。だいたい全部」
「俺はさ、終電を逃す事を恐れないよ」
「とりあえずは、今日を全クリしようぜ」
カラオケ館の自動ドアが開き、広いフロントと、ペッパーくんが迎えてくる。
「2名、朝まで」
フロントの女性に伝えて、指を2本立てる。
「お酒飲まれますか?」
深沢と顔を見合わせる。
「飲み放題付けてください」
「かしこまりました」
フロントの女性がダルそうに返事をする。きっとこの時間からの飲み放題の客が厄介なのだろう。僕も学生時代にカラオケでアルバイトをしていたからよくわかる。終電を逃してからカラオケに来て飲み放題に来る客は、大概物を壊すかトイレ以外で吐く。
俺ら吐かないから安心してよ、と深沢が前のめりにフロントの女性に言うのを、アルコールが回ってボンヤリとした視界の隅に入れる。
フロント脇の灰皿の隣の椅子に座り、煙草に火をつける。吸い込み、吐き出す。また吸い込み、吐き出す。楽しいな、と思う。
「行くぞ!」
「おーけー」
エレベーターに乗り込み、7階のボタンを押す。独特の浮遊感に胃が引っ張られたが、不思議と不快ではなかった。

『新宿25:00。逃した終電と眠らない街。』
春野 海